三日月を歩きたい

満月生まれです

雨ですね

久しぶりに雨の音を聞いた

夢と現実の境目に雨の音だけが残る

朝方の光と音が僕の意識に手をかける

 

 

雨の日って憂鬱になるから苦手

 

誰かの声が少し離れた空間に響く

僕はこのどよんとした空が好きだ

雨が汚れを洗い流している気になる

なんとなく淀んだ空気と

なんとなく重たい情を常に持ち歩いていた

 

夜の空気を体に満たしてから

僕はまた星を歌う

君に会いたいと心の底で疼く感情はいつ君のもとに届く

雨の続く日に僕はまた小さな光と小さな雫を見つける 

 

 

山の夏

僕、山育ちなんですね

それもかなり気合の入った山

スキー場にはスキー板担いで歩いて行けるくらいの距離

かなり気合入ってるでしょ

 

スキー場があるくらいだからもちろん冬なんて極寒で、一年の半分くらいは雪に囲まれて育ったんです

小学校は小2で合併して、

歩いて20分、そこからバスで30分の距離を毎日往復してました

 

短い夏は随分過ごしやすかったんですよ

最高でも25度くらいまでしか上がらなかったかったし、空気は綺麗でとれたての野菜を毎日食べれたし。

 

そのせいか高校に上がると同時に街に降りてきてからは夏の暑さに耐えられなくなって

 

 山でも暑いなーと思ってたのに街に出たら全然暑さのレベルが違うんですもん

蒸されてる気分ですよ

コンクリートに触れば火傷するほど暑いし

クーラーの効いた部屋に入ったら今までクーラーなんて経験したことなかったから温度差に頭が痛くなるわで

 

山に戻りたいと心底思いました

 

今でも山に住みたいと思ってます

 

でもやっぱ不便なんですよね、街から離れていると

最寄りのスーパーまでは車で40分とかだし

親元離れた今ではひとりで山暮らしなんてとてもじゃないけど無理だな、と思います

 

 

だからこんな暑い日は記憶を巻き戻して山の中の空気を吸いたくなるんです

ガンガンに効いた冷房の中とサウナ状態の外を平気で往復できるようになるくらいに僕は大人になったんだと、あの頃の僕に教えてあげたくなります

無理に街に出ようとしなくても確実に大人になってしまうんだと。 

梅雨の夜

雨の日はよく昔のメモを読み返します

 

誰かに愛されたい
誰かに必要とされたい
誰かに認めてもらいたい

不特定多数の中の誰かに、こんなに自分を見てもらいたい
愛して欲しい
誰かを愛したい

僕たちにしかわからない言葉で、話で、朝が明けるまで語り合いたい
愛し合いたい
無償の感情を僕にぶつけて欲しい
他の誰かになんてぶつけないで欲しい
できることなら僕だけを見ていて欲しい

そんなの無理だって頭の中じゃわかってるんだけど、心のどこかで本気でそれを望んでる

夢を見て、君がいて、僕がいて
それだけのことなのに夢から覚めると涙が溢れてる
胸の中に溜めてたダムが溢れて、
些細な瞬間に涙となる
涙以外のものになんてならないのに
泣きたくなんてないのに
自分の涙なんていらないのに
涙なんて機能なくなればいいのに

なのに、それなのに
1人になった途端涙が止まらない
本当はこの涙を誰かに見て欲しくて、
だいじょぶだからって頭を撫でて欲しくて
そっと隣にいて欲しいのに
この意地が邪魔をする

僕の涙に誰か気づいてよ
笑う顔の奥の雫に気づいてよ

愛したい人には愛してる人がいて、
愛してくれる人には心向かなくて、
愛されたい人には僕じゃない誰かがいて、
そんなことの繰り返し

誰も僕を見てくれない
誰も愛してくれない
ひとりぼっちだという気がしてならない
でも誰にも涙は見せたくない

なによりこんな矛盾ばかりの自分が嫌だ
全部わかってるのに感情がついていかない
涙が溢れて止まらない

 

僕の言葉なのに僕のものではないみたい

 

とっさにメモ欄を開いて打ち込む言葉を

時々見返してはひとりで傷つくことがある

 

あの時の僕には何が見えていたんだろうと不安になり、悲しくなる

でも多分あの時の僕に見えていたものが今僕を構成してくれているんだろうと、同時に安心します 

直感とスキな人

人ってどういうタイミングで人を好きになるんだろう

 

芸能人でいうと誰がタイプだとか

好きな仕草だとか

言葉遣いが好きだとか

 

そんな論理的な理由は置いておいて

まずは直感で好きになるんだと思います

『直感』なんて単純で、なんて難しい感覚なんでしょう

 

 

例えば、

(例え話が食べ物なのは僕が飲食の仕事をしているからです、すみません笑)

フォワグラを食べたとして、最初に身体のどこが反応するか。

僕の場合、脳が反応します

舌で美味しいなと思うより先に

香りでいい匂いだなと思うより先に

何よりも脳が反応するんです

そして「あぁ、おいしいなぁ」と舌や鼻がその味と香りと食感と、残りの全てを感じるんです

スタッフと話をした結果全員が脳が反応する感覚になると言いました

フォワグラとバターだと脳の反応が早いのはフォワグラです

バターとマーガリンなら、バターでしょう

生きて行くために確実に自分の栄養源となる食べ物を脳は知っているのです

そりゃ、植物性のものより動物性のものの方が栄養価に富んでます

 

 

人にとって一番栄養価の高い食べ物は何か、

それは紛れもなく人です

人を構成するものは人から摂取すればいいに決まってますよね

人の肉を食べればそれがそのまま自分の肉になる、当たり前のことでそれが一番手っ取り早い、そして確実に栄養になる

だから牛にも牛の骨を砕いた粉を摂取させることで短期間で力のある牛を育てられる、育てていた。

いろいろ問題はあったようですけど、それは人が見つけた一番効果的なやり方ですよね

 

話が逸れるので一旦この話は置いておいて、、

 

 

脳が反応する、と言う話に戻ります

瞬間的に脳が反応する、興奮状態に陥るということはそれが思考によるものではないからです

考えてどうこうできる問題ならそもそも脳が反応する感覚を感じません

考えている時点で、意識は舌にいっているはずです

本能で見つけるんです、自分に必要な栄養源を

好きとか嫌いとかじゃなく

どちらにせよ反応する

それを好きだと判断するのはその一瞬の後の思考の仕事です

 

それが人を好きになる瞬間と似ているんじゃないかなと思うのです

人を好きになる=自分に必要な人を見つける

それは人としての好きかもしれないし、勿論恋愛としてなのかもしれないですけれど

どちらにせよ好きだと思うということはその時自分に必要な感情だったり言葉だったり温もりだったりを持っている人だからです

この人といれば心が安らぐ

この人といればなんでも出来る

この人といれば叱ってくれる

どんな形でもその人が必要なんです

その人を見つけた時、それは頭で考えた結果好きだと思ったのでしょうか

それとも直感で好きだと思ったのでしょうか

僕は人を好きになるのは後者でありたいと思います

考えた結果ならそこに理由が生まれるけど

僕は理由があるから人を好きになるわけじゃない

好きな人がいて、そこに理由をつけることならいくらでもできますけどね

 

 

 

直感で好きだと思って

思った瞬間後悔しました

そんなことを何回も経験しています

あぁなんで実らない恋をみつけたんだろう、と

でも僕は僕の直感を信じてあげたいし

感覚で決めた人を信じたい

だから出来るだけそばにいたいと願う

好きなのはしょうがないんだから

脳が求める信号を僕が無理するわけにはいかない

それに見つけてしまったその人は確実に今の僕にとって必要な人なんですから

 

 

直感ってなんて恐ろしいんだと思います

考えるどうこうじゃないし

なんだかそこに大きな力があるように錯覚すらしてしまう

こんなに繊細で複雑なのに単純明快で愛おしい僕の直感を、もう少し僕は信じてあげようと思います

 

 

おやすみなさい

寝起きの彼女って可愛いな、と思います

 

 

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枕持ちながら顔うずくまる君をぎゅーっと抱きしめたくなる

 

小さな部屋の小さなベットのなかで

小さな声で君にスキだと言う

 

えへへと笑う君におはようのキスをする

 

 

ありふれているような日常をただ大切にしていきたい

 

太陽の光がまた1日の始まりを照らす

 

 

 

 

馬場ふみかさんすっごく可愛い

なんなんだこの小動物的な可愛らしさは

 

日常に溶け込む彼女が一番自然体で

一番美しい

 

ダイスキな街

浴びるように降りかかってくる星を見なくなったのはいつからだろう


虫たちのの大合唱を気にせず眠りにつくようになったのはいつからだろう

 

 

僕は田舎出身者です

 

 

街と呼べるようなとこではなく

ずっとずっと田舎で
信号機もなければコンビニもない

あるのは大きな空と綺麗な空気くらいでした

 


不便なこと極まりない田舎に僕は育てられました

 


降りかる星々を見て    

常に対流する空気を体に流して

澄んだ水で浄化し

真っ白な雪に埋もれて育ちました



僕はそこで誰にも負けない大きな夢を見ていたし
身体の中に自然の力がずっとずっと走り抜けて僕は生かされてた

 

 

山から降りて、街に出て、

数えきれないほどの情報とストレスが溢れているのを見て、いつから僕は街の人になったのだろう

 

人々が暮らす街の光をそっと見つめながら

この光がこの街の輪郭を作っているんだと静かに悟る

 

誰かの愚痴が道端に落ちている

行き場のないストレスがひとりで歩く

 

 

 

僕はこの街でなにをしているんだろう

時々ふとそう思います

 

ダイスキなこの街の光がたまに明るすぎて目を背けたくなる

 

 

 

光が漏れないあの田舎に戻りたくなる

 

 

いつからこんなに苦しくなったんだろう


いつからこんなに虚しくなったんだろう


駆け巡る情報と怒涛の一言にめまぐるしくついていけない自分の弱さに
いつ気づいてしまったの

 

今日もそんな答えを

寝る前の、夢と現実の狭間の時間で探しています